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ちょっと珍しい作品を入荷しました。
星野眞吾「絵具瓶」、写実を突き詰めた作品です。星野眞吾の名前は「トリエンナーレ豊橋」でご存じの方もいらっしゃると思います。
見れば見るほど緻密。机の天板と絵具や画鋲の塗り方に変化をつける仕上げでリアルさが増しています。
額縁は当時の物でマットも若干色褪せてますが、このままで味と雰囲気を楽しむのがよろしかと思います。ただし、絵肌や空気感をより楽しめるよう特殊な低反射アクリル板に入れ替えました。
◇豊橋市美術博物館HPより抜粋◇
1923年豊橋市に生まれ豊川市で育った星野は、中学校在学中から水彩画・油彩画を描き中村正義と出会う。1942年に京都市立絵画専門学校に入学し、鈴木武に日本画科に在籍していた三上誠を紹介さる。1948年、この三上を中心に山崎隆、不動茂弥、八木一夫らと前衛グループパンリアルを結成し、翌年には下村良之介、大野俶嵩らを加え日本画科卒業生によるパンリアル美術協会を新たに発足。日本画の概念にとらわれない抽象的・実験的な作品を発表してゆく。父の逝去が契機となって1964年に<人拓>シリーズがはじまる。これは糊をつけた身体を和紙に押しあて、その痕跡に岩絵の具を付着させるという独特の手法で、当初は掌、あるいは足の裏など身体の一部を用いただけであった。やがて対象は全身におよび、身体各部を組み合わせることによって多様な形態を画面上に展開し、ガラス片、画鋲、ビニールなどの無機質な物体が画面のなかに克明に描き込まれるようになる。 1974年、中村正義・斎藤真一・佐熊桂一郎・大島哲以・山下菊二・田島征三と人人会(ひとひとかい)を結成。1977年には第35回パンリアル展-結成30年記念展に初期からの代表作を出品し、これを最後に同会を退会。この頃になると迫真的な写実描写だけで濃密な異空間をつくりあげるなど<人拓>に固執することのない表現活動を行う。晩年は白内障・緑内障のため視力が衰え、従来のような細緻な描写が困難となるが、つねに可能性を追い求める姿勢は衰えることなく、死を目前にしてなお意欲的な作品を残した。